アリス「わたしたち、大事なことをすぐにしなきゃダメ」
ビル「何を?」
アリス「ファック」

スタンリー・キューブリック 『アイズ ワイド シャット』




相反するもの/モラルとセックス

 巨匠スタンリー・キューブリックの遺作。 前作のフルメタル・ジャケットから数えて、十二年振りの劇場公開作品。 R指定の作品で、映画の予告編でもストーリーについての詳細な説明がない。 また、一年以上にも及ぶ撮影期間や、作品の完成から程無くして、監督であるキューブリックが他界したニュースなど、 本編以外でも何かと話題の多かった作品です。

 映画そのものについては、前評判が高かったわりには、作品のストーリーが比較的凡庸で、賞レースとも無縁だった事実から、一般的には、 凡作として評価されるきらいが無きにしも非ずです。

 管理人自身、1999年のまだ大学生だった当時、地方の映画館で鑑賞したのですが、当時の感想としては、わりと物語が淡々と推移して、 鑑賞する前に予想していたよりも作品のインパクトが薄かったことから、 キューブリックが一体何を伝えたかったのか判然としないまま年月が経過したのでありますが、しばしばこの作品が、 「キューブリックが仕掛けた罠」であると形容されるように、観客である我々は、この作品を見て楽しむのではなく、 深く考えないと理解できない。 そして、真摯に作品と向き合えば、決して直截には説明されない、キューブリックの作家主義的なメッセージが込められた、 芸術性の高い佳作であることが今日になって理解できます。

 この作品は、キューブリック自身の傑作である『時計じかけのオレンジ』と対をなす作品。 かの作品における主人公アレックスは、本能の赴くままに喧嘩とレイプを繰り返す、 いかなる社会的な拘束も受けない反社会的な人間なのであって、『時計じかけのオレンジ』は、 そうした反社会的な人間を唯一更生させるための手段が強制教育であるという事実を、ほとんど無感動に描いた作品であった。

 そして、『時計じかけのオレンジ』から二十八年後に公開されたこの映画は、人間の根源的な性にたいする欲望と、 社会生活との関係性をドラマ化している点において、映画監督としてのキューブリックのキャリアを締め括るうえで、 最も似つかわしい主題であると言えるのではないでしょうか。

アイズ ワイド シャット1     アイズ ワイド シャット2




隠されたもの/隠すこと

 映画が公開される前のプロモーションにおいて、ミステリアスなベールに包まれたまま劇場公開を迎えた本作は、 実際に本編でも登場するスワッピングパーティーの場面など、エロティックでスキャンダラスな要素が満載でありながら、 劇中に露出する裸体であったり、ファックシーンの演出は、どれも生真面目さを欠いたものでは決してなく、総じてこの作品には、 映画そのものに内在するアブノーマルな要素は、皆無であると断言できます。

 それは勿論、この映画において最大の見所とされる、スワッピングパーティーの場面においてさえ見受けられません。 何故ならば、淫蕩に耽ることを目的としたこのパーティーは、本能の赴くままに性的魅力に秀でた異性とのセックスを渇望する、 男性側から見た人間の根源的な欲望と、職業や社会的な階層によって齎される、既存する秩序の崩壊にたいする畏怖の感情との均衡を、 冷徹な目差と緻密に計算された演出で、見事なまでに結晶化しているからです。

 即ち、モラルを度外視したセックスにたいする欲望は、「隠されたもの」であり、 仮面舞踏会という様式性によって取り繕われた組織ぐるみの犯行は、「隠すこと」である。 セックスを目的に裸体を晒す一方で、個人情報を特定する顔を仮面によって隠す。

 つまり、一見するとアブノーマルでしかないこのパーティーは、 狡猾なブルジョワジーの社会的なステータスを脅かすスキャンダルを回避しながらも、猶且つ、 彼ら特有の道徳的なコードによって制御されている、インモラルな欲望を満たすためにオーガナイズされた、極めて合理的な場であり、 空間なのです。

 こうした事実が示すように、この映画では、日常生活において隠された行為である、夫婦が下着姿のまま寝室で戯れる場面や、 ニコール・キッドマンの演じるアリスが、着替えたり排泄したり、腋の下をケアしたりなど、決して人目には触れない極自然な振る舞いを、 まるで「隠されたもの」を暴くかのように作為的に露出させています。

 そして、物語においては、性に纏わる危機が夫婦に何度も訪れる。 それは家庭の秩序を脅かすものであり、ビルに至っては、未遂で終わって事無きを得ながらも、 彼の生命を脅かすような危機に二度も遭遇しています。

 彼にとっての最初の危機は、売春婦のドミノに誘われて彼女とセックスしようとしたことであり、アリスからの電話で難を逃れた後日、 ビルはドミノの友人から、彼女がHIVの感染者であることを知らされます。

 そして、彼にとっての二度目の危機は、彼が好奇心で参加してしまったスワッピングパーティーで起こります。 件のパーティーにおいて儀式が執り行われる中、彼は権力者らしき人物から、パーティーに参加するための二つのパスワードを問われ、 ビルはニックから教えてもらった片方のパスワードしか答えられなかった。 このことが原因で、彼は権力者から仮面を外し、衣服を脱ぐことを強要されます。 彼が躊躇していると、予期せずして、一人の女性が彼の身代わりを申し出ます。 その女性が、かつてビクターの邸宅において、ドラッグの効き過ぎで昏睡状態にあったところを一度だけ救ったことがあるマンディーなのだと、 後日ビルは知ることになるのですが、彼の身代わりとなった彼女は、その事件が関係して死亡してしまったことから、 ビルは良心の呵責に悩まされます。

 しかし、その事実を打ち消すかのように、マンディーの死因はドラッグであって、パーティーでの乱交は関係ないとビクターは主張します。

 そして、ビルはビクターの言葉に疑問を感じながらも、家庭の幸福と秩序を優先させるため、それ以上の詮索を止めて、 平穏な日常の生活へと戻って行くのでした。

 つまり、この作品において、根本的に善人として描かれているビルのような人物にも、 社会生活において「隠されたもの」である性の欲望は常に内在していて、アリスの告白 (かつて旅先で知り合った男と浮気したい願望があったという内容の)を切っ掛けに、彼の性にたいする衝動は次第に大きくなっていきます。

 実際、行動にまで移したビルの浮気は、本懐を果たすことなく全て未遂で終わりますが、物語の終盤、寝室で眠っているアリスの傍らに、 ビルがパーティーで使用した仮面が置かれていたその光景を目にするまで、ビルはアリスに彼の行動を知られないよう努めています。 そして、マンディーの件についても、罪悪感に近い感情を心に抱えながら、 彼が自分自身の地位を投げ出してまで何某かのアクションを起こすことはない。 要するに、根本的に善人であるビルも、自己の保身や家庭の幸福を守りたいがゆえ、ほとんど盲目的に「隠すこと」に参加しているのです。

 このように、社会生活を送るうえで、当たり前に存在していながらも簡単に見過ごされている事実を、 手の込んだ遣り方で婉曲に表現したこの作品は、鑑賞後の大きなインパクトに欠けるものの、 キューブリックの遺した素晴らしい仕事の一つに数えられる作品であると言えるのではないでしょうか。


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